「ゆうべのテレビ見てくれたかよ?」
襲撃リスクを周囲から、忠告されながら
龍馬は、近江屋に宿泊し続けた。
すぐ近所に、京都土佐藩屋敷があったのに・・・。
脱藩を許されてはいたが、その顛末を知るは、土佐藩上層部のみ。
まだ藩全体には、周知されていなかった。
帰藩を許された龍馬自身、自分の事は、どうでもええちゅう感じではあった。
最後の仕上げの方が、大事であったのだ。
土佐藩も、屋敷内に留まる龍馬を襲うわけにはいかない。
近江屋に居てくれたのが幸いした。
昨夜のNHKスペシャル「龍馬暗殺」では、指示を出したのが
山内容堂となっていたが、真実は、不詳・・わからないままだ。
襲撃犯の誰かが残した手記でも出てくれればと長年、思い続けていたが
どうも無理なようである。
龍馬自身の書簡は、よく出てくるのだが・・。
暗殺直前の書簡が、最後になってしまったようだ・・。
「ほんまに、わしゃあ、残念じゃあ、もうちっくと神様が
わしを生かしてくれちょったら、わけのわからん身分制度で
埋もれる人材を掘り起こせちょったのに・・。
それが悔しいてならんがよ!
時代は変わっても、日本周辺の状況は、なんちゃあ
変わってないじゃいか。
わしの生きた時代より、悪うなっちゅうぜ。
日本の国が無くならんように、祈りゆうぜよ」
と、申しております・・・。
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