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愛犬の思い出
坂本龍馬暗殺考察

定説 見廻組説

「人間はのう、みんなあ同じ人間ぜよ。
 上もなけりゃあ下もない。
 あるのは、一人ひとりの個性じゃろ」


「武士じゃろうが、百姓じゃろうが
 やる気があって、能力があるもんは
 藩の為、国の為働いたらええんじゃあ」


「弱いもんを皆で寄ってたかって
 痛めつけるやつらあは、許さんぜ
 困ったときは、あしに言うてきいや。
 こしゃんとやっちゃるきに」


新撰組隊士には、百姓、浪人もかなりの数
含まれている。
新撰組は、本気で龍馬を殺そうと思えば
やれない事はなかったのだ。
ただ、龍馬の思想、考え方の中に自分達が
共感出来る要素があったが故に
少し、ごくわずかではあったが
手を緩めた。・・のでは、ないかいな・・・・。


 見廻り組は、立場が異なる。
龍馬に対し
脱藩浪人の分際でという思いは
かなりの隊士が持っていた。


そもそも龍馬など
「海舟の使い走りに過ぎない」と
うそぶく者さえ居たくらいだ。


その龍馬が、まさに昇り龍の如く
上昇して行くのが
随分と歯がゆかったのであろう。
日に日に衰弱して行く幕府と
力を着々とつけていく倒幕側勢力。


 深い時代の読みが出来る侍ではない。
襲撃者達は誠に刹那的で浅はかな連中である。
定説としては、彼らが襲撃犯である。
「何を今更」と広言する人達もいる。


嘘をついている人間、黒幕
間者、真摯に忠誠を尽くす隊士
いろいろな人生が交錯する幕末ドラマ。


時に新しい情報が得られたりして
なるほど、そうだったのかと
妙に納得したりする。


時代は変われど
人間がやっていることは
あまり変わっていない。


今、現在も、暗殺、襲撃は日常茶飯事。
その点では、人間は、まさに愚かな生物なのである。