龍馬の資料や記録なしで 自分の記憶だけで、ブログを書くのも無責任かな・・。 高松市の古本屋に行き龍馬の本を聞いたら・・・。 わずか5冊しかなかった・・・。 その内、2冊は、若い頃読んだ本じゃった。 どうも讃岐では、龍馬は、歩が悪い。 人気がないようで・・・。 そういえば、数年前に、桂浜の記念... 続きをみる
2016年11月のブログ記事
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黒鉄ヒロシさんが、高知の佐川の方だと始めて知った。 それも、銘酒司牡丹酒造が実家となあ。 まあ、土佐の人やき、そんな変な誤解はせんじゃろう。 安心じゃ。 一気に「龍馬を斬る」を読んだ。 よう調べちゅう。ほんま見事じゃ。 思うに龍馬ちゅう男の周りは えーーと、なんやったかな・・ ええーーっと、... 続きをみる
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今夜は冷える。 事務仕事で遅うなった。 風呂に入るには、ちっくと遅いし 風邪気味やし、入らんとこ。 もう寝ようかと玄関の鍵を見に行って 応接室の机の上の郵便物をチラッと見た。 もう遅いき明日にしようと思うたが 厚い封筒があったので手に取ってみた。 ・・あーあ、アマゾンに注文した 龍馬の本や。 ... 続きをみる
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龍馬は、剣術修行のために江戸に出ますが もし土佐一国で、おとなしく生きておれば 暗殺されずに済んだでしょう。 土佐で嫁さんをもらい、子供を育て 家族と一緒に土佐の自然を愛でながら 平々凡々と暮らせたものを・・・。 何の因果であちこち走り回り 結局惨殺されて、京都に散った。 しかし、龍馬の胸の中... 続きをみる
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「 もう刀の時代じゃないぜ」と、偉そうなこと言よったけんど そのわしが、賊の刀に、脳天をそぎとられてしもうた。 ほんま、ざまあないぜよ。 新撰組の土方は、風呂に入るときも せんちに行く時も、片時も大刀を肌身離さず 持っていきよったらしいけんど 見習わないかんかった。 ほんまに人生、一寸先は闇じ... 続きをみる
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一応11月15日が、不本意ながら命日である。 現在の暦で行くと12月の初めくらいか。 冷たい冷たい京の風に二人をさらわれてしまった(涙) 二人ともよう働いた。 日本の為に。 2人の活動量、移動した距離と早さは並大抵でない。 殆どが徒歩だったと思われる。 現在の車やバイクを2人が見たら目を丸くして驚... 続きをみる
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襲撃事件のあった近江屋跡地には、確か、石碑が残されていた。 「龍馬、慎太郎遭難の地」とかなんとか、そういう 表現だったように記憶している。 今もあるのかどうか不明だが・・。 「遭難?」何か、もうひとつ変な感じが当時はあったなあ。 自然相手であればそれもありか。 しかし事件は、人災である。暗殺であ... 続きをみる
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真剣は恐い。自分にとっては、恐怖の対象である。 30年以上の顧客が、高知で居合いをやっておられて その方の紹介で、香川県で自分も居合いを始めた。 龍馬の命を奪った刺客が、居合いの達人と聞いて 暗殺ブログを書く上で 何か参考になればと、始めてみたが・・・・。 丁度去年の今頃始めたので1年が経過。... 続きをみる
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何年前だったか、京都へ研修旅行に行った。 10人くらいで烏丸で勉強会。 終わってからは、京都の方々と懇親会。 龍馬、慎太郎の墓は、すぐ傍であったが お参りに行く時間はもう終わっていた。 飲み会の後、河原町を一人で歩いた。 丁度、祇園祭りの時で 結構な人出だった。 龍馬を斬り殺した刺客のつもりで歩... 続きをみる
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龍馬の母は、肺結核で闘病生活だった。 当時は、「肺病病み」と言われて 忌み嫌われた。 咳などで空気感染するし、身内も避ける病だ。 自分の母も、長い闘病生活だったので、よくわかる。 結核、絶滅させるべし! まだ子供だった龍馬に、うつしてはいけないの一心だったろう母親。 わが子を遠ざけるのは本意ではな... 続きをみる
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居酒屋の大将が、「お龍犯人説」を持ち出して来た時は 流石に「えっ!」と思った。 突拍子もない説だと思ったが お龍の嫉妬が、犯行を生んだ? そのお龍が、「陸奥が犯人だ」と主張したと言う・・・。 陸奥は、海援隊士で、言わば龍馬の弟子のような存在。 紀州船との事故でのやり取りで 紀州出身の陸奥と、龍馬の... 続きをみる
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勝海舟は、龍馬を斬ったと言う犯人(名前忘れた)と 若い頃、剣術道場で知り合いだったらしい。 多分、犯人が服役中に面会に行ったと自分は思う。 (政府側が面会を許可しなかったかも知れない) 海舟とすれば、襲撃時の模様を確認したかったんだろう。 犯人は、見張り役をしていたに過ぎないという説もある。 自分... 続きをみる